3.9.07.地藏坂
1.はじめに
地藏坂の名称は、坂の上り口にあった地蔵堂に因みます。坂を上り始めて直ぐに小坂の上り口がありますが、その脇の小さな堂に納まる五尺余りの地蔵尊で、関東大震災で倒壊します。いま亀の橋東詰めに鎮座する濡れ地蔵とは異なります。
外国人遊歩道は、中村川に架かる亀の橋東詰めから上ります。遊歩道の道筋に決まってから整備されますが、それ以前は土地の人が通るほどの山道です。坂の名前も定かでなく、関内と結ぶ橋もありませんでした。
横濱開港直後に福井藩は横浜湾南岸の警備を命じられ、拠点として築いたのが太田陣屋ですが、警備のために御持場海岸分見画図(*1)を制作します。右図はその部分ですが、周囲の状況から、「谷ヤド」と記されている所が後の地蔵坂です。鮮明でありませんが、上り口に地蔵堂らしきものも記されています。
地蔵坂は数十年の間に、土地の人が利用する山道から関内と本牧方面を結ぶ基幹道路として隆盛を極め、山手隧道の完成で衰退します。開港と文明の発展が一際色濃く反映した一帯と云えます。
2.昔日
2.1.地蔵坂の変遷
2.1.1.地藏坂の前身
吉田新田の締切り堤防を八丁畷(現日ノ出町駅前～中村川車橋間)と云い、現在は横浜根岸道路になります。車橋で中村川を渡ると坂道に差し掛かりますが、上り始めて100ｍ少々先の左手が牛坂です。
幕末の頃は現山本町に至る道筋がありません。牛坂を上ると、現横浜共立学園の敷地を斜めに横切り、現地蔵坂上に至ります。牛坂を通過するのが、東海道と本牧を結ぶ基幹道路になります。
地蔵坂は牛坂の東側ですが、単に無名の谷戸を抜ける山道です。さらに東側は大丸谷戸と名前があり、尾根まで山道(現大丸谷坂)が延びます。
写真「View of Yokohama from the New Road(*2)」は、往時の地蔵坂上から見える風景と思われます。手前から中村川・埋立前の一つ目沼・太田屋新田・木の茂るあたりが州干島・横浜湾の向こうに神奈川。
名も無い山道が主要道路の地藏坂に転じるのは、1864(元治元) 年12 月、横浜居留地覚書第11条にて外国人遊歩道の設置が決まり、その一部となるからです。一年も要さずに幅５ｍ強(3間)・距離4kmの遊歩道が完成するのは、居留地覚書締結以前に仮遊歩道の造成に着手していたからです。
なぜ牛坂が外国人遊歩道の一部にならなかったか。地蔵坂を三角形の一辺とすれば、牛坂を通る道筋は他の一辺と斜辺の関係になり、関内の居留地を起点にすると遠回りになるからでしょう。
2.1.2.地藏坂の謂れ・１
無名の坂がいつ地蔵坂になったのは明確でありません。ただし坂のどこかにお地蔵様が鎮座していたことに因む命名でしょう。
いま地蔵坂下、亀の橋東南詰に濡れ地蔵が鎮座しています。坂の名前は、このお地蔵様に因むと云われます。皆さんの信仰の証ですから、それが間違いとは思いません。しかし石柱に刻まれた来歴に「此地蔵尊地藏坂上 昭和五十四年十一月吉日 地蔵尊坂上坂下の移設 平成十五年四月吉日 石川町地蔵尊奉賛会」とあります。
脇の案内板に古い新聞の切り抜きと古い時代の略図が貼付されています。それによれば、お地蔵さまは2代目、初代は関東大震災で壊れたとあります。昭和の時代の再建のようです。略図には地蔵堂の位置が記されています。
2.1.3.地藏坂の謂れ・２
初代と思われる地蔵に二つの口承があります。
一つは『地蔵坂の上り口左側の小さな堂に、五尺餘の石の地蔵尊を安置して居る。地蔵坂といふ名の起ったのもこの爲めであった。今は神奈川成佛寺布教所となって居るが、この地蔵をここに祭ったのが元禄九年の七月廿四日で、その時から子育地蔵・満願地蔵・延命地蔵などと呼ぱれて土地の信仰が甚だ厚かった(横濱の伝説と口碑_中区)』。
ここで神奈川成佛寺は、ヘボン博士などの宣教師が仮住まいした所です。元禄九年は1693年ですから古くから鎮座していたことになります。
他の一つは『その頃の地蔵坂だって、土地の人ぐらいが通る山道であって、急な坂であったそうです。けれど次第に本牧方面へゆく人がふえて、車や馬が通るようになって行きまして、どうも道が狭くて仕方がない、というので山道を切り開いたのです。ところが工事はなかなかはかどらず、何か月もかかっていましたが、その工事中、日光屋敷のあたりで約六〇センチ位の地蔵様が泥のなかに埋まっているのを掘り出したのです。人々は、この地蔵様をそのままにしておくのはもったいないと言って、坂の途中にお杞りしたのが、地蔵坂の地蔵様の始めといいます。当時人々には「延命地蔵」と呼んで崇めたのでした。・・・ 掘り出されて、山坂道に安置された地蔵坂の地蔵様は、その後何代目かになっていますが、世の移り変りをだまって見つめながら、慈悲のお心で道傍に立たれています、これは私共の誇りでもありましょう(中区わが街)』。
地藏坂の開鑿は外国人遊歩道の設置が決まる1864(元治元) 年頃からです。通称日光屋敷ことテンプルコートは一般に日本人は立入り不可のホテル兼集合所ですが、建設は1906(明治39)年頃で、坂上の現山手本通りに近い場所にあります。すなわち坂上付近でお地蔵様が掘り出されたことになります。
二つの口承に間には200年余の時間差があります。開削する以前は人通りの少ない山道です。お地蔵さまは珍しいものではありませんから、どちらの可能性もあります。
2.1.4.地藏坂の賑わい
坂下の鶴屋(*3)、いまの銀座松屋の発祥地です。坂の途中で一休みする馬車や行きかう人々、
坂上の赤い建物はホテル・テンプルコート(日光屋敷)(*4)でしょう。根岸競馬場に続く道でもありにぎわったことでしょう。
2.1.5.地藏坂の衰退
地蔵坂は旧坂の難所でした。現在は地蔵坂上直前で右に折れて緩やかになっていますが、往時は真っすぐに尾根道に接続していたと思います。それに合わせて全体が急だったのでしょう。荷車等を後ろから押す人が常時待機していたと云います。もちろん仕事としてです。
関東大震災の復興事業などで新山下町の海岸道路が拓け、元町のトンネルが掘削されると、地蔵坂の関心は急速に萎みます。難所の地蔵坂の交通量は次第に減少します。荷車や馬力車が貨物自動車にとって代わる昭和初期になると、地蔵坂の交通はかっての面影を無くします。
大震災後の復興が進んで昭和４・５年にもなると、かつてのように元町は外国人相手の商業地、石川町は住宅地として復興します。
引用
*1「御持場海岸分見画図」 福井県立図書館蔵
*2「View of Yokohama from the New Road(1863-1868)」 Getty
*3「横浜石川地蔵坂」 絵葉書 横浜市立中央図書館蔵Getty
*4「横浜石川地蔵坂」 絵葉書 横浜市立中央図書館蔵Getty
（2025年8月19日制作）